2008年正月合宿

槍平(2000m)

下山ルート方面・夏季小屋前(三峰山岳会テント・徳島岳人倶楽部テント)〜夏季小屋前(SACテント)前から撮影

槍平・雪崩事故 検証・・・・・・SAC木村正雄
29日AM8時に下関を出発し、20時20分新穂高温泉駐車場に着く。
30日7時20分出発槍平へ向かう。
穂高平小屋〜白出小屋まで林道で途中追い抜かれた他パーティーのトレースもあり楽である。
藤木レリーフ過ぎ樹林の斜面を順調に進めたが、ガレ場の様な、しかも雪崩のデブリが沢まで落ちている所で
ルートを決めかねて斜面を行く者と沢筋へ降りて行く者と二手に分かれてしまう。
此処で各パーティーが団子状態になり30人位いただろうか・・・
8月にこのルートを下山したのだが、沢すじを下る道などはなかった。
しかし雪崩の危険を避ける為には沢筋が無難かなと思い沢すじのトレースを利用することとする。
雪も深くこの辺りからワカンを着ける。トップは交代しながら進む。私達はトレースを利用させて貰った。
槍平へ15時45分到着。雪はたっぷり積もっている。どこにテントを張るか意見の相違もあったが、
夏季小屋の斜め前に張る
平成19年12月31日
31日は予定どうり停滞であった。雪!雪!雪!よくこれ程降るものだ。
この分だと明日下山するにしても私達5人でラッセルはとても厳しい。
槍平に居る者で協力し下山のラッセルをした方が良いのではと案も出ていた時
中央アルパインの鮒田さんが私達のテントに訪ねて来られ明日一緒に下山しませんかと
提案され、他のパーティーも誘ったので20名位で7時〜8時の間を目標に下山開始をしましょうと約束する。
明日下山という事になったので、まだ早いがおせち料理と年越しそばを食べて、なるべく帰りのボッカを軽くする為に
早速、少ないアルコール類を出し、昼食を豪勢(山中では・・・)にする。お腹がいっぱいで夕飯が入らないので
除雪をすることになり、夕方4時過ぎだったと思う。これでもかと降るものだから、これでもかと思う程の雪かきをする。
テント周りの壁をそれまでより30cm程掻き落としテントのレベルより周りを20p掘り下げ、タップリの空間を取った。
掘り出した雪は山手側に投げ捨てたのでテントの周囲は風除けが出来ていた。
風は無風だったし、降雪も勢いを弱めていた様に思う。
雪かきに邪魔なのがテントを固定している張り綱である、雪で風除けも出来、明朝7時にはみんなで下山の
手はずにもなっているし、テントは5人いれば突風で飛ばされることもあるまいと、外張りの入り口、一ヶ所を固定し、
全ての張り綱を撤去し、テント直下に差し込む事にした。これが後から考えると良かった。
夜9時頃、紅白歌合戦をシュラフの中で聞いていたが面白くないのでラジオを切る。
昨日と同じ配列で同じ衣類なのに暑い、ヤッケを脱ぎシュラフの頭部を開くがそれでも暑くて眠れない。
暑いながらも、うとうとしていると突然、左頬にドォと冷たいテントが迫って来ていた。下半身はどうも無いが、顔ばかり
グイグイと押し付けられる。《周りの壁が崩れた!》と宮元さんの声がしたが、雪崩だ!と自分は思った。
シュラフから、自分で脱出したのか、誰かに引っ張り出されたのか定かでないがのしかかっている雪が落ちないように
みんなで押し返し支える。その圧力もしずまった。
《他2張テントの生存者の証言では突風の後に雪崩が音も無く起きたとあるが私達5人は突風は感じなかった》
入り口がなぜこんな所に?この穴は何?冷静に考えるとベンチレーターだった。
テントの中は5人が立っても頭上には空間が残っている。雪が圧し掛かってない所もある、不思議な気がした。
固定した入り口が雪で潰れ、他は風船のように飛ばされ、L字型の空洞が出来たのである。本当にラッキーだった!
とにかく外の様子が知りたくてベンチレーターから外の様子を覗いて見る。(ベンチレーターは立って胸の位置)
テントの周りは雪崩で埋り、とにかく外に出て雪かきをしなくてはと身支度をしたいのだがヤッケは取り出したが
靴は取り出せない。松本君とサイズが一緒だと思い出し、借りる。ヘッドランプもシュラフの中で誰のか借りる。
まずベンチレーターから手を出しその辺の雪を掻き退け、外張りをナイフで切り裂き、脱出した。
森永さんはテントシューズにビニールを履き飛び出し、その次に宮元さんが靴を履いて飛び出る。
周りはどこから来たのか大量の雪・雪・雪、木の枝もちぎれ飛んで来ている。早速、雪かきを始める。
スコップは埋まっている。手で掻き出すしかない。
幸いテント入り口の雪はしまりが無く手で掘り出すことが出来た。
暫く掘っていると誰かの絶叫が聞こえる。振り返ると隣のテントからである。
ヘッドランプは着けている。何か言いながら救助を求めている。
《2人が残されている!早く救出してくれ!》と叫んでいる。
《そっちも大変だろうがこっちのテントもつぶれそうなんだ!》と叫ぶとこちらに向かって来た。
彼は裸足で飛び出し、ヤッケもセーターも着ていない。
歯の根が合わないほど寒さで震えている、すぐ私達のテントに入るよう押し込んだ。
彼のテント(三峰山岳会)へ向かうと人ひとり這い出した雪の穴があった。
雪の穴60p深さのその下にテントらしきものが見える。
二人残っていると言っていた。《お〜い!大丈夫か?返事しろ!》
まったく反応が無い、時計を見た、雪崩が起きてから初めて時間を知った。23時52分だった。
そういえばもう一張テントがあった筈、木の隣辺りに・・・・・。無い!雪が一面あるだけ!大変な事に成った!
雪崩事故の全容がその時初めてわかった。とても私達5人でかたずけられる問題ではない!
冬季小屋とその周辺のテント泊の人たちに救援を求めなくては!
宮元・森永両氏に呼びに行くように言ったが何処に冬季小屋があるか
周辺のテントが見当たらない。雪が多くて前に進めないのである。テントの中に森永さんのワカンがあるのでそれを
宮元さんが履き、たすけてくれー!雪崩だあー!と宮元さんと森永さんが大声で叫び、必死で救助を求めた。
たまたま用足しに出てきた、小屋泊まりの人が声に気ずき、救助に駆けつけてくれた。
この間15分くらい掛かったと思う。その間、必死で手で雪を掻き退けていた。
救助に来てくれた人達と心当たりの場所を掘ったがテントが見当たらない。
ゾンデ棒をもってこい!の声で、ゾンデ棒なら有る!と言ってテントから取り出す。
テントの中では《落ち着いて!》と言い含めながら、シュラフにその彼を押し込む。
その彼は《テントのに二人いるんだ!助けないと!》と叫ぶが、まずは彼を助けなくてはいけないと思っていた。
お湯を飲ませて落ち着くと《自分はもう落ち着いた助けに行く!》と叫ぶ
靴下とオーバーパンツを貸してくれと言うので渡すと、2人の仲間を救う為に飛び出て行った。(市橋談)
レスキュー講習でしていたが自信が無いので経験のある者に渡す。テント確認!掘り出しテントをナイフで引き裂く
手を動かす女性が見える!《生きてる!》と活気ずく。0時45分(119に生存者ありの電話をした時間が0時47分)
救助活動に一層期待もあり力が入る!が時間の経過は止めることは出来ず、死亡した4名はもはやどうする事も出来ない。
人工呼吸の蘇生を何度も何度も試みるが息を吹き返す事は無かった。
遺体を冬季小屋へ収容し其処でも蘇生を何度も繰り返した。山岳ガイドの方(?)がテキパキと仕切ってくださり、助かる。
埋もれたテント内の遺留品を掘り出し、小屋へ運び入れた。
私達のテントも全て撤収し小屋に移動、ようやく作業終了かなと思ったのが2時40分頃、入り口に座り込んでいると
奥へどうぞと言われそちらに移動する。甘く熱いコーヒーを飲み要約落ち着き、隣の方からミルクティーを戴く。
3時ごろ、それぞれのシュラフを被り仮眠をとる。
平成20年1月1日朝 
明るくなるのを待つ。夜中の雪崩騒動の間雪がやんでいた様に思うが、今なお雪が降りしきる。
被害にあったテントの生存者は荷物を確認し、足りない物を現場に掘り出し作業に行く。
私達の荷物もそれぞれが確認しながらパッキングする。(反省:常にテント中の個人装備は整理整頓して置く)
8時頃、2人の男性が《一緒に下山しませんかGPSもあるし、レスキュー隊もトレースを付けると助かるんじゃない!》
と誘われたが2人と私達5人ではちょっと心細い。昨日約束したパーティーはまだ動こうとしていないし断った。
この雪で少人数での行動は気が重い。折角拾った命だから、確実でない行動は慎みたいと思っていた。
出来るなら、レスキュー隊が到着し、そのトレースを利用し下山したいと考えていた。
レスキュー隊は新穂高温泉を6時50分に出発したそうで、この雪では今日中に着くかどうかわからないという。
明日一緒に下山するしかないのか?と思っていた。
9時前雑煮の朝食を済ませる頃、外のテント泊の3パーティーが下山の準備を始めていた。
10時頃、中央アルパインの鮒田さんに下山しますかと聞くと下山するとの事。私達も一緒に下山する事にする。
途中でレスキュー隊に会えば、お互いトレースが活用できる。
10時50分下山開始、 先発の2名と4名、5名、中央アルパイン7名と下關山岳會5名総勢23人。
最初は2名のトレースを使わせて貰ったが、すぐに追いつき23名が交代でラッセルとなる。
滝谷まで、二箇所で表層雪崩の雪煙が揚がった。遭遇しなくて良かった!
滝谷でレスキュー隊と会う。その時木村がトップでラッセルしていた。
滝谷で私達は休憩した。此処からはトレースが有る。他のパーティーと此処で別れ、マイペースでゆっくり下山した。
穂高平小屋で警察の方に事情聴集され、一通り説明し、私達がラストだと言うと、警察の方は一緒に下山した。
新穂高温泉にはマスコミが駆け付けているので知らん顔した方が言いと言われ、無視することにした。
17時丁度に駐車場に着き。各自無事着いた事を電話連絡を済ませ、一路雪の無いSAにてテントを張る為
雪の高山市から飛騨清見ICより北陸道を一路南下する。高速道は大雪道でこちらの中国道、山陽道、九州道では
考えられない程雪が積もっている。通行止めにもならず、お陰で助かる。関SAでやっと休む事が出来た。0時である。
翌朝8時15分に関SA出発小月ホンダに18時30分着。
様々な体験と反省材料をいっぱいかかえての帰関となりました。